霊視ご依頼の前にお願いがございます

心を開いてリラックスして鑑定に挑んで戴ければ、すんなりと色んな映像が見えてきます。
スライドショーの様に何枚もの写真が次から次へと見えてくるのです。
そのイメージを皆様にお伝えしております。
文字でキーワードが見えることもあります。
頭痛という形で強い警告が来る場合もあります。
様々な形で守護霊からのメッセージが降りてきますが、例外もございます。

霊視を非常に怖がっている方、強く疑っている方、試そうとされておられる方。馬鹿にされている方。
これらの方々に関しては心にバリアーを張られた状態なので、霊視しようとしても全く見えなかったり、
バリアーを突破するのに非常に時間がかかってしまい、良好な霊視鑑定が致しかねます。
お互いの心の波動が正反対を向いているからなのか、鑑定の精度がガックリと落ちてしまいます。

「なんか当ててみてよ」

とか、引っかけ問題を出してくる方もおられますが、これもお互いに時間とお金の無駄だと思います。
こういった場合は私の方からお断りすることが多いです。

このように依頼者の方の心が開いて居ないことには、入り込めないことの方が多いです。
バリアーがあるということは、プライバシーの領域がそこにあるということなのでしょう、踏み込めない部分でもあるのです。

プライバシーの領域で霊視の大きな壁になるのが、お付き合いしている相手の異性関係を視る場合です。

「彼氏が誰と付き合っていて、今何をしているのか教えて」

というご依頼の場合、第三者のプライバシーに踏み込む事になるため、全く見えないことがあります。
とくに霊視結果を基に攻撃的な感情を抱かれるタイプの方、嫉妬心が強すぎる方の場合、何も見えないことが多いです。
守護霊様が視させてくれないというか、視る必要がないと言うことなのかも知れません。
みえない=有罪というわけでは無いのです。人の心には霊能者でも踏み込めない領域があると言うことなんです。

心を開いてリラックスして戴ければ、非常に鮮明な映像が見える場合もあります。
未来の彼氏彼女の大体の身長や体つき、髪の毛のウェーブから、容姿のイメージ……。サラサラの髪や、肉感的な体型等が見えることもあります。

でも、心にバリアーがあると、こういった「魂の交流」が出来にくくなる訳なのです。

あと、人の未来というのは非常に入り組んだ状態で、見えにくいことが多いです。

受験などの合否に関してのご依頼はお断り致しておりますが、
霊視で合格すると言ったとしても、それにあぐらをかいてサボられてしまうと不合格となったり
自分の未来は変えられるからこそ、悪い方にも、いい方にも外れることがあるからなのです。

彼氏が出来るチャンスとお伝えしても、家に閉じこもって酒飲んで寝てばかりですと、
巡り会えるご縁が消えてしまう、赤い糸を切ってしまう事になるのです。

不確定要素が多いと未来視は外れることも多々あるもので……。能力不足ですみません。<(_ _)>

病気に関しても、こんがらがった毛糸の様に、現在過去未来がゴチャゴチャに絡まって見えます。
昔に起こったことなのか、将来的に起こる事なのかが、あやふやなことが多いです。
また、医師ではないので診断は出来ません。ごめんなさい。

鑑定のお申込をされる前に、少しリラックスして心をオープンにしてお電話を待って戴けると嬉しいです。

何も言ってないのに・・・・・・。と、依頼者の方がビックリなさるような精度の高い鑑定は
お互いの心が向かい合って、同調して初めて視えてくるものですから。

霊視って、ダイアルを回してラジオの周波数を合わせる、チューニングの様な物かも知れませんね。

不倫のご相談

不倫のご相談が非常に多いのですが、傷つける人(相手の配偶者とお子さん、双方のご両親も)が多くいるだけに、鑑定も慎重にならざるを得ません。

私の霊視のポイントは4点。
・双方の配偶者に将来バレるかどうか?
・バレた時夫婦関係を修復できそうかどうか?
・略奪婚となったあと2人が幸せそうに過ごしているか?
・別れた家族が幸せそうに過ごしているか?

バレなければイイと言う訳でもありませんが、
(やっぱりや~めた)と元の配偶者のところに戻って『結婚』と言う責任を果たすと言うことはいいことです。
『結婚』と言う契約は神聖なモノ。力の限り『頑張った』後で、どうにも修復できない時だけに『離婚』を考えて欲しいのです。

『バレても夫婦関係を修復できそうな時』お互いに修復しようとする気持ちがあるのならば、『不倫』が相手に与える傷の大きさを目の当たりにして反省することが出来るでしょう。何年も心の痛みを持ち続けて苦しむ配偶者のフォローをすることにより、遊び心で起こした『不倫』がどういうものかを互いに学び、支え合い、癒やし遭うことにも、『修行』があるのです。

『略奪婚の後の2人のルート』がある場合はそちらも視ます。
でも、このルート上のカップルが幸せなケースって非常に少ないのです。特に元の配偶者を騙しに騙し、十分な財産分与や慰謝料を払わなかった場合。それまでの感謝もなく元の配偶者を馬鹿にした態度で別れに至った場合。
そこには大きな遺恨が残ります。生き霊がうごめく新婚家庭には、争い事ばかりで心安らぐ場所が見えないことが多いのです。
誠心誠意元の配偶者に対して、金銭的配慮を行いましたか? 心からの謝罪を行いましたか?
新しく家庭を築くには、お金も心もできうるかぎりの謝罪の念を相手方にお支払いし、双方納得の上で離婚することがネックとなります。

『別れた家族が幸せに過ごしているか?』
離婚に際し法的責任と、心からの謝罪を元の配偶者に行った際には、貧しいながらもニコニコしながらパートをして、新しい世界に踏み込んでいる奥さんが見えたりします。
自分の幸せを願うのならまずは『立つ鳥跡を濁さず』ですね。

明けましておめでとうございます

こちらにも書きましたが、ルドルフシュタイナーによれば、肉体的な放蕩生活を送っている人のカルマは、自分の子供に返ると言っています。

DNA鑑定で親子関係が不在となり、裁判でも大揉めに揉めた喜多嶋舞さんの息子さんもそうでしょう。
自分の行いを棚に上げ、DNA鑑定を認めることなく反訴を行い、メディアにも嘘をつき続け、散々大沢氏側への誹謗中傷を行った挙げ句に、裁判に負けてから一言の謝罪もなく芸能界を引退しました。

自らの行いは必ずカルマとして、いずれは己に帰って来るのです。

この裁判劇で翻弄された息子さんの中には『女は信用できない生き物』という格言が刷り込まれてしまいました。
先日暴力沙汰で警察のやっかいになりましたが、彼もこの『女は信用できない。母親ですら信用できない』というカルマから逃れるには相当苦労されることでしょう。
だからといって暴力を振るっていい訳ではありませんが、母親の放蕩のカルマに翻弄されないよう、強く生きていって欲しいです。

喜多島さんも妊娠が発覚した時に、誰かを騙す道ではなく、腹をくくってシングルマザーとしての道を選んでいれば、
「格好いい女性」として息長く芸能界で持て囃されていたと思います。

自殺者の霊

とある場所に宿泊していた時に、飼い犬と一緒に近くの公園に行きました。

泊まっていた民泊に一番近い公園では、

 

「ここに来るな!!出て行け!!」

 

という男性の声が聞こえました。

 

公園の石碑を見ると元々は稲荷神社。宅地化が進む中でどこかに移転したみたいですが、お稲荷さんを称する男性の霊が居座っているようでした。

 

(失礼致しました。もうここに来ることはございません。犬のオシッコも失礼致しました.散歩をさせて戴きありがとうございました)

 

といいつつ、そこを離れて二度と行かなかったのですが、

この一体の地域、どうもなんかしっくりこない地域で、なぜか非常に居心地が悪いのです。

宿泊しているおんぼろの民泊は、非常に居心地の良い所なのに、少し離れて近くにある他の公園に行っても、なんだか気味の悪い違和感がありました。

 

しかしウチの犬と来たら潔癖症なのか、家の中では絶対にオシッコもウンチもしない。

下痢とかどうしても我慢できない時だけ、お風呂場の排水口や、玄関先に敷いたペットシーツでしか排泄をしないものだから、一日二回の散歩がどうしても欠かせないのです。

 

ある日のこと散歩の途中公園の近くに差し掛かり、一つの石碑に気がつきました。

横穴洞窟がここにあったことを表す石碑でした。

多分、墓場としての役割を担っていた洞窟だったのでしょう。

 

しかしながら、時間が経ちすぎていて、普通の墓場のような気味の悪さは無い。

一体この違和感は何だったのだろう?と疑問に思いつつ、元稲荷神社とは違う公園に向かいました。

 

その公園でベンチの下に落ちている男性用の手袋を見つけ、雨が降ったら泥で汚れるからとベンチに置いておこうと採り上げようとした時(触るな!!)という声が聞こえました。

 

でも、つい心の叫びを無視して手袋を手にした瞬間、嫌なイメージが私の中に飛び込んできました。

 

ベンチの横の大木からぶら下がった、首つり自殺の男性の映像。

 

うああああああああ!!!!と思いましたが、その霊に向かって私は心の中で話しかけました。

 

 

(私に出来る事は何も無いんです。貴方は肉体的には死んだけど、まだ生きて苦しんでいる。

霊魂の存在を信じずに、貴方が人生を放棄したからこうなっている、そのことに対して私に出来る事はありません。申し訳ないけど自業自得です。

貴方が命を絶った時に、迎えに来てくれた親しい死者をも貴方は拒絶した。(オレは死んでいないから)と。

恨む気持ちを捨てて、自分の人生を反省し、もう一度迎えに来て貰えるよう祈りなさい。

私に出来る事はそれだけです。憑いてきても困ります、他に行きなさい。自分の人生を振り返り反省と感謝の気持ちを持ちなさい。他人のせいにするのはやめて素直になりなさい)

 

そう心の中で説教しました。

 

でも、聞いて欲しい、理解して欲しいこともあったのでしょう。

しかし、聞いてあげたとしても、彼自身の反省がないとどうしようも無く、私は祈るしか無いのです。

 

私自身も憑依体質です。

鏡を見るとたまに顔がガラッと違う人のように見える時があります。

そういうときは色々とくっつけて歩いている時なんですね。

 

なるべく関わり合わないよう努力していますが、そういうときは神社に駆け込みます。

そして粗塩を頭から大量にかぶって、身体を擦り、禊ぎをします。

 

「払い賜え清め賜え……」祝詞をあげながら、天国へ導くよう祈るのです。

霊的存在を知らなかっただけで、あの世への戻り方が解らなかっただけの人たちですから。

 

そんな霊の存在に気付いた時には、(私に出来る事はありません)とお断りして下さい。

考えてみると除霊って失礼な言い方ですね。正しくは浄霊でしょうか、お見送りをする気持ちで祈ってあげるか、知らんぷりして通り過ぎてくださいね。

生き霊とは

人に恨まれると憑くという生き霊ですが、これが憑くとやっかいなことに、そこらの動物霊とかも呼び寄せるらしく……、まあ、もめ事は起こさないに限ります。

 

オバケや妖怪を描いた絵に『ろくろ首』というものがありますが、あれが正に『生き霊』を描いたものでしょう。

 

怒ってはいけない、むやみに我慢しなければいけないという訳ではなくて、怒りには正当な怒りもあります。

正義感から来る怒りがあると、善行にも繋がり得るのですから。

怒った時に、正しい怒りかどうかを少し立ち止まって考えてみてください。

 

人を恨んだり、憎む気持ちはさっさと捨てて、次に進みませんか?

皮肉でも何でもいいんです。心の中で恨んでいる人に向けて感謝と共に祈りましょう。

 

(貴方のおかげで私は強くなれました。本当に最悪でしたが強くなれました。ありがとう、さようなら)

 

恨む気持ちを、感謝に変えて決別してください。

人を恨む時間が勿体ないですよ。

 

怒りのコントロール、私もまだまだ修行中です。